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うさぎに会えるカナ♪

2025

0706
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2008

0226
プロ野球西鉄ライオンズの本拠地だった平和台球場跡地(福岡市中央区)の撤去作業が進むなか、球場のそばに往時をしのばせる野球用品店がある。西鉄ライオンズで長くマネジャーを務めた藤本哲男さん(故人)が退職後に開いた「ライオンズベースボールショップ」(同区赤坂2丁目)。黒地に「NL」マークの球団帽を今も売り続ける。プロ野球が最も熱く燃えた時代に触れようと、今も全国からファンが訪れる。

店の入り口には怪童・中西太氏のユニホームがマネキンに飾られている。ダッグアウトに陣取るような風情だ。店内の一角にも、ライオンズの日本シリーズ優勝時のペナントやリーグ優勝時のトロフィー、選手全員の記念写真のほか、日本シリーズ3連覇を成し遂げ、「球史空前の偉業成る」と見出しが躍る新聞のコピーが並ぶ。

 78年春、球場裏手に建ったマンションで開店した。当時すでに西鉄は球団を手放していた。西鉄という球団があった証しを地元に残そうと店名はすぐに決まったという。同年秋には球団は再び身売りして西武ライオンズとなり、福岡を去った。

 ただ、ファンは忘れてはいない。店内の展示品も「何か当時を思い起こせるものを」との来店者の声に藤本さんが応えたものだ。球団がなくなって35年以上たった今も、北は北海道、南は沖縄から店を訪れるという。

 藤本さんの娘婿で店を継いだ平岡和也さん(55)は「みんな懐かしい、懐かしいと熱っぽく昔話をされる」と話す。

 ファンの記憶はいまだ鮮烈だが、平和台球場は完全に姿を消そうとしている。97年に閉鎖され、解体工事が進む。唯一、面影を残していた外野席の外壁も、昨年末からの撤去作業が来月には終わる。

 平岡さんには末期のライオンズの記憶しかないが、それでも平和台の撤去に「福岡の野球は西鉄ライオンズから始まった。戦後、元気と夢を与えてきた場所だけに残念でならない」。ライオンズが去った後も若い選手が目標としてきた「アマ野球の聖地」としての顔を持っていただけに、大切な場所を奪われたような思いも強いという。

 「だからこそ、ファンの思いがあるうちは、西鉄ライオンズが福岡にあった証しを永遠に飾っていたい。それが伝えられる場所でありたい」 

asahi.com

伝統ある店ってなんかいいですよね。

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